もしあなたがこれまでにSNSを眺めたり、YouTubeのライフスタイルVlogを続けて観たことがあるなら、「ロマンティシズム(romanticisation)」という言葉にきっと聞き覚えがあるはずです。
いわゆるロマンティシズムとは、生活を美化し、理想化すること。自分の人生をひとつの作品のようにキュレーションし、まるで展覧会のように仕立て上げること。そして自分自身が、その主人公になることです。
けれど、この言葉を本当に理解しているなら、すでに気づいているかもしれません。オンラインで「美しく整えられた人生」を発信している人たちの多くは、もともとすでにロマンティックなイメージをまとった場所で暮らしているということに。
しかも、それはこの言葉が生まれる前からそうでした。たとえば、パリ、ロンドン、ニューヨーク。ほんのいくつかの例にすぎません。
日本にも、もちろんそうした場所はあります。京都は、その典型と言えるでしょう。雑誌や新しく出版されるガイドブックは、定期的に「これから流行る京都のスポット」を紹介します。
最新の和菓子カフェ、禅を感じる茶屋、季節ごとに訪れるべき寺院など。「古き良き京都」——その言葉自体が、すでにひとつのロマンティシズムの象徴のようです。まるで、人生が泥沼に沈んでしまったとき、京都へ行けばすべてが救われるかのように。では、もしあなたが京都にいないとしたら。あるいは、京都へ行く予定もないとしたら。目の前の生活をそのまま受け入れるしかないのでしょうか。本当に、そうでしょうか。
ここからは、私自身の経験です。私は幸運にも、ロンドン、パリ、東京、そして京都といった、世界でもっともロマンティックだと語られる都市で暮らす機会に恵まれてきました。美しい庭園、話題のカフェ、世界的な美術館。そうした場所が、すぐ手の届くところにありました。確かに、それらは街を歩いているあいだ、生活のどこかの空白を埋めてくれました。
けれど、家に戻ればどうでしょう。散らかった部屋。整わない日常。内側の揺らぎ。それらは、どの都市にいても変わらずついてきました。
光の都にいるか、ロマンスの街にいるかどうかは、ほとんど関係ありませんでした。むしろ、私の生活がいちばん「少女漫画のように」整っていたのは、コロナ禍で二週間の隔離生活をしていたときでした。特別でもない住宅街。外出も許されない環境。隔離生活そのものが好きだったわけではありません。
けれど私は、「この二週間をできるだけ良く過ごそう」と決めました。ホットサンドメーカー。お気に入りの食器。大好きなビスケット。編み物の道具。スケッチボード。
そして、この時間をどう使うかを書き出しました。結果として、その二週間は、これまでで最も満ち足りた時間のひとつになりました。生活は自分の好みに合わせて整えられ、生産性もありながら、どこか余裕もあり、精神的にも満たされていました。
「外に出られない」という事実を受け入れた瞬間から、意識は「どこにいるか」ではなく、「どう生きるか」に向いたのです。誰かのためではなく、自分のために、日常を美しく整える。その過程に、京都は必要ありませんでした。
ここまで読んでくださったなら、きっと伝えたいことはもう分かっていると思います。人生をロマンティックにすることは、場所に縛られません。いつでも、どこからでも始められる。たとえば——今、この瞬間からでも。